飛騨護国神社と相撲の歴史&1ヶ月遅れの端午の節句

泣き相撲実行委員会

2016年03月09日 18:36

「飛騨には神社がたくさんあるけれど、なぜ飛騨護国神社で泣き相撲なの?」という疑問をお持ちの方のために、飛騨護国神社と相撲の歴史について紹介します。



飛騨護国神社の敷地内には、江戸時代から平成14年までの長い期間、土俵がありました。

江戸時代の現白川村出身力士「白真弓肥太右衛門」が、1857年6月に黄金神社境内において「江戸勧進相撲」を行ったのが始まりで、黄金神社には白川郷の鉱山を開発した方(宮島平左衛門)を神さまとしてお祀りしてあり、その縁から白真弓関が相撲を奉納しました。



常設の相撲場があることから、高山市唯一の公式相撲場として昭和まで使用されてきましたが、中山グラウンドに新相撲場が建てられたため、平成14年に解体されて、今に至ります。

泣き相撲の開催は、飛騨護国神社の相撲文化を復活させたい!という想いも込められているのです。



そして、1820年5月5日に黄金神社が再建されたという歴史から、新暦の6月5日が黄金神社のお祭りとなっています。
さらに、飛騨地方の端午の節句は6月5日に祝います。冬が長く春の訪れが遅い飛騨では、雛祭りや七夕といった季節行事は一ヶ月遅れなのが普通なのです。



イベント当日は、白真弓関を紹介するパネル展示もございます。参加者以外の方もぜひ、お越しくださいませ。

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